音楽という文化②

すぐに横道にそれてしまいますが、フラフラしながらも結構真面目に書いています!

 

 

 

前回からの続きです。

 

音楽の根源的な在り方と、習い事としての音楽との間には大きな隔たりができてしまっているように私は思います。

習い事をはじめる前は、あんなふうに弾けたらいいな〜という憧れを持って習いはじめることは多いと思いますが。

 

 

 

 

ピアノはヨーロッパで生まれた楽器で、もともとは同じ鍵盤楽器であるチェンバロなどから進化し、今のピアノの姿になりました。

(これについては浜松にある楽器博物館に、すごく詳しいコーナーがあるのでぜひ行って見てください。園児さんでも楽しめると思います)

 

楽器は、その土地に根付いたものであり、気候風土、そこに住む人の気質などの影響を必ず受けています。

例えるなら、冬が寒くて長い東北地方では漬物の塩がきいていること、(自然の塩は身体をあたためます)や暑い地方では果物がたくさん採れて、食べるとほてった身体の熱をとってくれること。

 

食べ物と同じように音楽も自然と存在しています。

そこに住む人の性格、生活様式の影響を受け、楽器の材料になる木材や動物の皮は、その土地のものであったはずです。

 

特に、動ではなく静、奥ゆかしさ、寂しさなどを表現として好む人が多い日本では、自然の音が愛され、(川のせせらぎ、鳥のさえずり、蝉の大音量での鳴き声から、秋の虫のキレイな声、などなど)楽器の音もなんというか、西洋音楽のような洗練された美しさとは違い、どこかぎこちなさ、不完全さという表現でいいのかわかりませんが、場合によってはその楽器の演奏者に優れた技巧が必要なほど、楽器そのものは自然の音を出すためにシンプルな(西洋の楽器と比べると未完成な部分を持つ)構造であったりもします。

 

ピアノのなどの西洋の楽器は楽器そのものが完成された美しさを持っていると感じます。

 

 

 

 

これは洋服と和服の違いと同じで、身体のカタチと合うように作られた洋服は、袖を通せば完成形であるのに対し、和服は平面構造で、着るのには時間も技術も必要ですよね。

 

 

このように、食べるもの、着るものと同じように、音楽も、その土地に住む人々のところに生まれてきたものなのです。