子どもの演奏について思うこと

先日、私がピアノの他に続けている和楽器の演奏の場に、息子を連れていきました。

1人での演奏よりも賑やかにしたかったので私がお願いし、本人がやりたがったためです。

 

子どもというのは、ほんとうに、そこにいるだけで存在感があるというか、まだ地球に慣れていない(?)かのような新鮮な可愛らしさがどんな子にもあると思うのですが、息子もまた登場するだけでお客様に喜ばれました。

 

息子は締太鼓を打ち、長唄を歌いましたが、手伝ってもらったはずの息子がなんだか、お客さんの視線をぜんぶ持ってったようなそんな感じだったのです。

 

息子はほとんど「習う」というプロセスをふんでいなくて、いわゆる「見よう見まね」です。私も特に指導ということはしていなくて、(唄が伴奏とずれちゃう所だけ一緒に何度か練習しました)何というか、自然体の演奏でした。

 

 

 

 

 

 

子どもの弾くピアノも最近よく聴く機会があって(ピティナピアノステップ、など。自分が教えている子以外の演奏を聴くのは面白いと感じています)そこで、聴きながら色々なことを想像するのです。

 

 

慎重に間違えないように一生懸命弾く子

 

先生に言われたことを頭の中で整理しながら弾く子

 

先生の表現をしっかり取り込み自分のものにしている子(高学年〜中学生くらい)

 

自分のしたい表現を持っている子

 

などなど。

 

 

ピアノは楽器の性質上、細やかな指導が求められるのではないかと思いますが、私がずっとわからないでいることは、それを幼い生徒さんにどこまでしていいのか、というさじ加減です。

 

 

私の好みだけかもしれませんが、今、コンクールなどで小さな子どもに大人のような表現を求め過ぎているような気がするのです。コンクールを否定している訳ではないのですが、(もちろん、そういう場があるからこそ磨かれる才能があるし、緊張の舞台演奏を繰り返すことは演奏もメンタルも鍛えられるはずです。)

ですが、私は「こうしなければならない(先生が言うように)」に縛られすぎない子どもの自然体の演奏というものに魅力を感じます。

未熟であり、指が動かなくても、それでも十分に魅力的なのが子どものすごい所だと思います😊

その時の成熟具合というより、その先の広がりの可能性を意識するようにしています。(演奏に限らない、色んな面での可能性です)

 

 

 

 

幼い生徒さんのレッスン時間中、今日この時間に何をどのように、どこまで伝えようか、ということは私は慎重になっています。

直感のようなものが「今だよ!」とささやいた時に、言葉を選んで言ってみたりしています。

 

 

 

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